
市井の民を見つめ、彼らの生活と闘争を描き続けてきたイギリスの巨匠、ケン・ローチ監督。彼が自ら「最後の作品」と語っているのが第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『オールド・オーク』だ。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』に続く「イギリス北東部3部作」の最終章となる本作の舞台は、とある炭鉱の町で最後に残ったパブとして親しまれていた「オールド・オーク」。人々が集い、安らぎを見出す場所だったはずのパブは、シリア難民の受け入れにより、諍いの場に変貌してしまう。オーナーのTJはシリアから来た女性ヤラと出会い、友情を育む中で、困窮する町の人々とシリア難民のための食堂を開こうとするが…。
数々の名作を共に世に送り出してきた脚本家ポール・ラヴァティとのタッグによる、社会と人々への温かくもリアリズム溢れる眼差しが映し出すドラマは、深い感動を呼び、世界中で激賞されている。現実社会にも起こっている分断や争いと、違いを受け入れながら共存していくことへの希望についての考察を我々に促すだろう。
イギリス北東部、とある炭鉱の町で唯一のパブ、「オールド・オーク」。活気溢れる時代から30年の時を経て、今は厳しい状況に陥っているが、町に住む人々にとっては最後の砦となる止まり木のような存在だ。店主のTJ・バランタインは、試行錯誤しながらなんとかパブを維持しているが、町がシリア難民を受け入れ始めたことで、パブは居場所を争う諍いの場になってしまう。先行きを危ぶむTJだったが、カメラを持ったシリアの女性ヤラと出会い、思いがけない友情を育むことになる。果たして、彼らは、互いを理解する方法を見つけられるのだろうかー?
英ウォリックシャー州出身。オックスフォード大学に進学後、BBCでテレビドラマやドキュメンタリーを手掛ける。67年、『夜空に星のあるように』で映画監督デビューを果たし、続く『ケス』(69)も高い評価を得る。『麦の穂をゆらす風』(06)、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)でカンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを2度受賞している。近作は2019年カンヌ国際映画祭コンペティション部門にノミネートされた『家族を想うとき』。
1957年インド・カルカッタ生まれの脚本家。『カルラの歌』で、ケン・ローチ監督と初タッグを組む。『SWEET SIXTEEN』でカンヌ国際映画祭脚本賞、『この自由な世界で』でベネチア国際映画祭脚本賞を受賞。『家族を想うとき』で英国アカデミースコットランド賞脚本賞を受賞した。
労働組合役員として働いていた時期に、ケン・ローチ監督やポール・ラヴァティらと知り合う。北東部での調査や案内にも同行し、『オールド・オーク』ではオーディションを経て主役に抜擢された。『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』にも出演している。
イスラエル占領下にあるシリアのゴラン高原、マジュダル・シャムス村出身。数回にわたるオーディションを経て、ヤラ役に抜擢される。
慈善団体「タイン・アンド・ウェア・シチズンズ (Tyne and Wear Citizens)」の事務局員。『家族を想うとき』のプレミア上映後には、観客が無力感や絶望感だけを抱いて帰ることのないようなキャンペーンのワークショップを開催した過去も。調査にやってきたケン・ローチ監督と出会い、のちにオーディションを経てキャスティングされる。
イギリス北東部、ウォールセンド出身の俳優。1988年に『リフ・ラフ』のオーディションでケン・ローチ監督に出会う。福祉国家に関するドキュメンタリー『1945年の精神』ではナレーションも担当した。
(順不同/敬称略)
世界でも、日本でも至る所に蔓延している人と人の「分断」。この最も厄介な手に負えない病巣を前にしてもケン・ローチは諦めない。
『オールド・オーク』は人と人が差異を超えてどうしたら共に生きられるかを正面から問い続ける。
これほどまでに一貫した「眼差し」を世界に、人間に向け続ける彼の存在こそが、
映画にとっての希望であると改めて確信した。
是枝裕和(映画監督)
押しつけられた理不尽に苦しむ者同士、噛みつき合うのか、助け合うのか、それとも黙ってやり過ごすのか…… それは明らかに、2026年現在の日本社会に生きる、我々自身にも向けられた問いだろう。
ケン・ローチ渾身のまたしても大傑作、劇場公開されて、本当に良かった!
宇多丸(RHYMESTER)
ローチが見つめるのは、難民そのものではない。「分断を生む社会の構造」だ。怒りと不信の底に、なお残る連帯の可能性を探る。
2016年の英国北東部を描いたこの物語が、2026年の日本に重なって見えるとき、私たちは何を選び取るのか。
松尾潔(音楽プロデューサー・作家)
パブはpublic house、つまり「公共の家」という単語からきています。お酒を飲むだけではなく、人々が集まるコミュニティの中心としての公共的な機能を持っています。
そんなパブが地域社会のためにどういう機能を果たせるのか、果たすべきなのかを描いた映画です。
北村紗衣(英文学者)
どこの国でも、移民・難民の心や体を傷つけるのは人。でも、共に食事をし、語らい、音楽に触れ、その心や体を救うのも人だ。
悪意に満ちた言動に挫けそうになるけれど、最後は善意に救われると信じさせてくれる映画。
シュクラン(ありがとう)、みんな。
児玉晃一(弁護士)
分断のあるところに、共感と連帯をあらしめよ。ケン・ローチ監督は、冷笑と分断に苦しむ私たちの社会に、この世には善意というものがあり、それが社会をつなぎとめているという、祈りのような「最後のメッセージ」を届けてくれる。劇場で受けとめてほしい。
河野真太郎(イギリス文学・文化研究)
この映画は小さな町の背景を描きながらも、「差別する側にも理由がある」という安易な正当化を
拒否する。
社会の脆弱さや失政を「外国人のせい」「難民のせい」と転換し、「分かったふり」を
する暴力の露骨さを描く。
一筋縄ではいかない「共に生きる」をなお、諦めない意思も。
安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)
寂れつつある炭鉱町の住民たちと、そこに移住してきた難民たち。過去を持ち合わない隣人同士が、食事をし、働いて、悲しんで、たがいの人間としての姿を知る。
特別ではない人間たちが互いを知るとき、特別な、思い出が始まる。
増村十七(マンガ家)
「多文化」が共生するのではない。
「人と人」が共生するのだ。
どんな時代にあっても同じことを言い続けてきた
ケン・ローチの声が聞こえる。
ブレイディみかこ(作家)
人種差別という、人間の醜い行為から始まるドラマが
鮮やかに描き出される。名匠ケン・ローチは健在。
山田洋次(映画監督)
ケン・ローチ監督のまなざしは、怒りを携えながらも静かで鋭い。
本作は、分断された世界の片隅で、傷ついた者たちが手を取り合う物語だ。
私たちは何のために生まれ、何を支えに生きるのか。
人間の尊厳への問いかけが、胸の奥に沈む。
最後のケン・ローチ映画かもしれないことが、余韻をいっそう切なくさせる。
呉美保(映画監督)